
日本を飛び出してみて初めてマイノリティの存在を意識
阿部仁美
留学しなくとも国際理解を進めることは出来ると考える。理由は、国際理解を推進する方法が留学だけとは限らないからだ。日本にいながら、大学の講義で学ぶ事も出来るし、書籍や記事でも知識を身につけることが出来る。留学せず、効率的に国際理解を推進する一番の方法は、多国籍の人々と交流することだと考える。考え方、価値観が違う人々と共同し、何かを成し遂げたり、時に衝突し、問題解決に必死になったりする。こういった交わりの中で本当の意味でお互いの理解が進むのだと考える。
私は、海外で多国籍の人々と生活した経験よりも、日本で留学生と同じコミュニティーの一員として関わりを持った経験の方が、国際理解が進んだと考えている。海外では、異なる考え方を持っている人々ばかりだという大前提が自分の中にあったために、想定外なことが起きても、容易に受け入れられた。しかし、日本で過ごしているときは、同じように上手くはいかないと実感した。日本人にとっての「当たり前」が、自分のいるコミュニティーにおいての「暗黙のルール」のようなものになり、それに反する意見が留学生からでた際に、受容が難しかったと感じた経験があるからだ。日本にいるから日本的なやり方を押し付けてしまいがちだが、少数派であればあるほど、異なる価値観を持っている可能性がありうる留学生の意見に耳を傾ける必要があったと今になって気付く。このように、留学をしなくても、日本で異なる考えを持つ多国籍の人々との交流によって、国際理解は進めることもある程度できると考える。ただ、日本を飛び出してみて初めて少数派に耳を傾けていなかったことや異なる考えに触れることが大切だと感じることができるようになったともいえる。