世界情勢の変化と中国と日本における国際教育の現状
李蓉
1989年6月に中国では天安門事件が発生し、同年冷戦の象徴であったベルリンの壁が崩壊し、東西ドイツが統一された。その後、1992年社会主義国家の代表とも言えるソ連が崩壊し、軍事力が要らなくなった共に、国境の壁が低くなり、経済や貿易が相当程度自由化された。世界的な相互依存関係が緊密化され、人類の生存、発展、福祉が全世界的に共通の課題となった。
第二次世界大戦の直後、世界戦争を繰り返さないように国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)が創設され、国際理解の教育を「国際教育」という理念として正式に生まれ変わったが、いまだ明確に定着した概念はない。諸国の政府の文教政策による国際教育が様々に解釈され、また、諸国の国情や政策動向のもとで、学校教育における国際教育の取り組みが実際はほとんど行われずまたは弱体化しているという厳しい現実の前で、国際教育を問題としなければならない。
日本の場合、臨教審が「国際社会の中に生きる日本人の育成」を国際教育の目的にし、その「国際社会」の定義も不明確なままの状態でありながら、国際機関で合意された国際教育の諸原則や課題も積極的に導入することなしに「平和」「人権」「国際交流」や「国際理解」などの意義を強調しても、単なる呼びかけでしかないであろう。国際化のための「異文化理解」もユネスコが主張した「平和と友好関係のため」ではなく、「経済交流の活発化に伴っておこる文化摩擦を避けるため」であることは残念である。本来的には国際的、人類的広い視野で日本文化を主張し、国を愛する心をもつ「世界の中の日本人の育成」が行われ、アイデンティティ教育にも貢献することが期待されると言えるであろう。
中国の場合、「国際教育」の目的も日本とほぼ同じで、競争が激しいグローバル現代社会に生き残るため、言語能力を重視する教育を行い、歴史(ここでは、清の鎖国政策による科学知識不足や井の中の蛙論)を繰り返さないように、もっと視野を広くして、海外の先端技術を学ぶという方針である。そして、教育方法も「留学」するしかないと言う歪んだ理論となっている。
つまり、両国とも国際連盟やユネスコが主張した「国際教育」とその本来的な目的から逸脱しているのが現状ではなかろうか。また、国際教育の政策的歪曲によって、歴史教科書問題、外国語は選択科目とされ、学校における国際教育の著しい弱体化が進行していることも否めない。現代の子供や青年の人格の発達をめぐって、知的停滞や学習意欲の喪失、体力や生活力の弱体化もその結果であると思う。