留学など実践が伴って本物の国際教育になる

田中翔

ゼミに入ってはじめて「国際教育」について学んだが、結論から言えばかなり抽象度が高く、また国際政治なども絡んでくることから、大変難解な概念である。「国際教育の研究」(平和と人権・民主主義のために 深山正光著)によると、まだ世界各国において国際教育は独自の定義をもち、ある程度共通項が見出せはするが、国際教育を行うことに対する意義というのは色々な考えがあるように思われる。そこで、なぜ今、国際教育を考えるのかということである。わたしは「国際教育の研究」から、国際教育は私たちが受けている教育という枠からかなりはみでる教育だと考えた。つまり、国際教育とは「国際理解と国際協力および国際平和」という概念が統合されており、これらの教育を享受するということは、現代のグローバル社会で生きていく上で不可欠のものなのである。このことについて、ストックホルム大学国際教育研究所のT・フセーンによると、「近代的な貿易や技術、通信手段、それに核兵器までがいまや人類を共通の運命にひきこんだ、有限な資源、持たざる国に損失を与える持てる国の資源開発、そして人口爆発とも重なる資源活用の生態系への影響等々が同一の「懸念症候群」に属している」という、世界の国々の「相互依存関係」を主張している。いまや国はほかの国との関係を維持しなければ、資源不足やまた物資不足などに陥ってしまう。しかし逆に言えば、グローバル化が進んだことによる自国の文化衰退や、異国の文化流入による生態系の変化という問題も生じてくる。観光業などの発達により、環境破壊や宗教による神聖な場所も観光客により侵略されているのが現状である。また、企業もグローバル化が進んだため、たくさんの国との貿易を要することとなった。ここにおいて重要なことは、こうした時代の変遷において、あいまいな知識で世界と繋がるのではなく、真の国際人を目指すことである。真の国際人とはただ異文化感性を磨くだけではなく、自国の文化や他国との関係をしっかり理解することである。これらを果たすためには、国際教育を普及させるべきなのである。国際教育とは、たとえば留学であったり、教育援助、他国の文化だけではなく歴史や地理の理解まで及び、ただ学ぶだけではなく実践が伴うべきである。はたして国際教育を実践すれば、平和になるのかといえばそれだけでは疑問が生じるが、それは少なくとも平和への礎となるのである。