③授業について

H.K.

4つ授業を履修していて、1つの授業につき週に2回授業があった。コミュニケーションの修行をするために、4つコミュニケーションの授業を取っていたが、毎日毎日ディスカッションやプレゼンテーションで話し過ぎて疲れて、帰りのバスの中や寮の中では誰とも話したくないほどだった(笑)

<Intercultural Communication>

これは異文化間のコミュニケーションを学ぶ授業。私は、“異文化”というのはただの人種の違いだと思っていたけれど、人種だけではなくて性別、年齢、など、様々な切り口があることを初めて知った。

一番面白かったのは、色々な価値観や基準が大きく2つに分けられていたこと、そしてその2つのうちのどちらかに自分が必ず当てはまるということ。例えば、Large/ Small Power Distanceというもので、これは、年齢とか権力とかの違いをどのくらい尊重するかということ。アメリカ人は、そういった違いは少なくて、目上の人や先輩を敬う文化は無かった。逆に日本人は、尊敬語や謙譲語があるように敬う文化が健在。

また、Individualism/ Collectivismというものは、簡単に言えば集団主義か個人主義か。アメリカ人は、個々のユニークさとか、個性を尊重する文化で、逆に日本人は周りの雰囲気を崩さないように、ハーモニーを気にするところがある。全授業を通して先生が強調していたのは“Read the air(空気を読む)”という言葉。「こんな言葉アメリカにはないよね」と言っていた。

そういう違いを座学で聞くだけではなくて、様々なアクティビティーを通して実感できる授業だった。とにかくディスカッションが多くて、アメリカ人だらけの中で、「日本人はどうなの?」て聞かれることがよくあった。

一番印象に残ったアクティビティーは、異文化交流の体験を簡単に再現した、“NACIREMA”というもの。クラスを半分に分けて、片方のグループの学生は別部屋に連れていかれて、先生が作ったNACIREMA文化のルールを刷り込まれる。例えば「YesとNoは、yes,yes,yes、no,no,noというように必ず3回ずついう」、「異性に話しかけられたら無視する」、など独特なものだった。そしてその学生たちは元のクラスに戻り、そのルールの通り行動する。するとコミュニケーションを取るのがとても難しく、元のクラスにいた学生たちは、NACIREMA文化の人達にイライラしたりもした。

あともう一つ、似たようなアクティビティーをして、今度は異文化同士で契約を結ぶときを再現したものだった。またクラスが2つに分けられて、それぞれにその文化の特徴が与えられ、その通りに行動する。例えば、一方は「仕事の話ばかりして契約を早く結びたがる」、他方は「仕事の話よりも自分の身内に話が好き」。また、一方は「冗談などを言わず笑顔が少ない」、他方は「冗談ばかり言い、話をそらして仕事の話を進めたがらない」。実際にその通り行動すると、沢山の学生が「あっちのグループは仕事の話ばかりして楽しくなかった」とか「あっちはヘラヘラしてて腹が立った」など他方のグループの悪口を言った。

この体験から、自分の文化と違う文化の人と交流をすると違いに困惑したり腹が立ったりするのは避けられないことだと分かった。そのことを分かったうえで異文化交流をすれば、今後違いに戸惑っても「これは当然のことだ」と思って落ち着いて物事を考えられるし、「別のルールや常識を持っている人がいるのは当然」と心にとめて生きることができる。そして様々な種類の文化を知れて、違いを実感できる機会がこのタイミングであってよかったし、これから世界の中で働いていくために役に立つと思う。

<Interpersonal communication>

これは、マンツーマンのコミュニケーションに関して学ぶ授業。この授業は毎週課題に追われていて、その分知識がとても身に付いた。毎週テキスト40ページ読んでテストを受け、それに関するレポートを300字程度書く。最初は英語を読むのに時間がかかり、それを理解するのに時間がかかり、その後に短い制限時間の中で受けるテストも難しく、そして300文字とはいえ英語で自分の意見やテキストの内容をまとめるのがとても難しかった。必死に頑張らないと間に合わなかった。

最初は、頑張っても10点満点中8点で、先生にも「内容は良いけど文法を直した方がいい」と言われていた。けれど、それ以来毎日学校にいる英語のチューターにレポート添削してもらって、文法とか内容を全部直してもらって、毎回満点取れるまで成長できた。しかも、チューターの人に訂正されるところが少なくなっていって、「あなたの文法よくできているから自信を持って!」と言われたときはすごく嬉しかった。

毎回隣の席に座ってた友達はすごく優しくて、授業が始まる前にいろんな話をした。その子はアメリカから出たことが無いらしく、私みたいに外国に長期間住んで勉強するなんて考えられない、尊敬する、と言ってくれた。こんな風に「尊敬する」と、面と向かって言われることって少なかったから、嬉しかった。

授業は毎回とても興味深くて、感情とか環境がどうコミュニケーションに影響するかなどを学んだ。中でも、deception(嘘)に関しての授業が一番印象に残った。Deceptionには3つの条件があって、①「話し手が、それが事実と異なっていることを自覚している」、②「話し手が、聞き手にその話を信じさせようとしている」、③「目的をもって事実と異なることを言っている」。この3つの条件を満たさないものは、deceptionではない、ということが興味深かった。例えば、Aさんが会議の日程をBさんに質問して、そこでBさんは自分の知っている日程を教えた。が、Bさんが伝えた日程は間違っていた。Bさんも間違った日程で覚えていたのだ。

この場合、Aさんは「Bさんが自分に嘘をついた」と怒り、Bさんは信頼を失ってしまうかもしれないが、①の条件を満たさないため、Aさんを騙したということにはならない。こういう場合を自分自身に置き換えてみると、間違いなくAさんを責めてしまうと思った。が、人伝いに聞くAさんも悪いし、それを「嘘だ!」と非難することもよくない。この、deceptionに関して詳しく学んだことは無かったので興味深かったし面白かった。deceptionの定義を初めて知り、自分の中で整理できたことで、“嘘”というものの見方が変わった。

それと、初回の授業で、コミュニケーションに関して学んだ際、コミュニケーションの定義を教わるだけでなく、コミュニケーションがいかに人間にとって大切なものか教わった。授業内である実験が取り上げられた。その実験とは、生まれたばかりの赤ちゃん50人が対象で、50人全員を人との交流を絶った状態で育てたという。すると、全員がすぐに死んでしまったという。また、“監禁”という処刑方法が人間にとって最も苦しいものである理由も、コミュニケーションが人間にとって必要不可欠なものであるからだという。

そんな人間の核であるコミュニケーションというものは、普段意識もせず何気なく行っているため、改めて学ぶことは新鮮だったし、自分の経験と関連付けて考える機会となり、とても楽しかった。

<Gender and communication>

これは性別の違いがコミュニケーションにどう影響するか学ぶ授業だった。授業内では、男女の脳のつくりや含まれるホルモンの働き、LGBT、性犯罪など、コミュニケーションというよりは、男女の違いを理解するところから始まり、それが引き起こす問題などに関して勉強した印象が強い。

LGBTを含む多様性に比較的寛容な国だからこそできる授業なのか、こういう授業があるから寛容なのか分からないけれど、「日本でここまで話せるか?」と思うほどに、教授も学生も赤裸々に授業を展開していた。しかも、デリケートな話題を出しても、誰も恥ずかしがらない。「男性は、彼女以外に平均何人と体の関係を持っているか?」という話題に対して、みんなそれぞれ自分の予想を話し合っていて、「それは多すぎるよ(笑)」とか、「僕の経験では、、、」などと話す人もいた。日本では、そういう話は親しい友達とする話だし、授業中にみんなで話すことではないと思っていたから驚いた。

一番印象に残った内容は、ストリートハラスメントに関する授業。アメリカで道を歩いていると、よく道端にいる男性やすれ違う男性、車の中にいる男性などから声をかけられることがよくあった。「かわいいね」とか「you look beautiful」とか「車乗ってく?」とか、ワッ!て驚かされることもあった。一人で歩いているときによくあったから怖かった。これをストリートハラスメントというらしく、問題になっていると授業で取り上げられた。

ストリートハラスメントが頻発している場所(どこだか忘れたけどアメリカ内)で、一人の女性が道を歩いてみて、その様子を隠し撮りした動画を授業中に見たが、ひどいものだった。しかももっと驚いたのが、クラスの男の子たちが「こんなこと、本当に起きているのか?」と言っていたこと。無意識なのか、そういう光景を見ても悪いことだと気付いていないのか定かではないけど、自分はやっていなくても、同じ男性がそういうことをしているという自覚を男性一人ひとりが持たないと、こういう問題は減らないなと思った。ストリートハラスメントだけではなくて、レイプ、強姦、家庭内暴力なども同じことだと思う。女性が気を付けるよりも、男性が意識していくことも必要だと感じた。

あと、この授業に関しては、映画を見たり、ラジオを聞いたりする課題がとても多かった。おそらく2週間に1回は必ずあった。もともとリスニング能力が極端に低く、それを克服することも留学に来た際の目標の一つだったほど。その中でリスニング能力がないとできない課題をすることは、本当に大変だった。2時間ほどの映画を使う課題が多く、一回では聞き取れない部分もあったため、速度を落としたり、巻き戻したり、一時停止してメモしたり、とても時間がかかった。

この手の課題が出されるたびに憂鬱になり、部屋にこもって夜遅くまで課題をした。留学後半までこの課題には手こずった。でも聞き取れるまで何度もやって、どうしても分からなかった部分は先生に聞いて、できた文章は何度も添削してもらって、毎回満点近く取っていた。きつかったけど、リスニング能力は確実に上がった。

この授業内で一度だけグループワークの課題が出された。授業で取り上げた内容をボードにまとめて、それを廊下で通りかかった人にプレゼンする活動で、メンバーは近くにいる人や仲のいい人を自分で選ぶ方式だった。この授業ではクラスに仲のいい人がいなくて、しかも私以外全員ネイティブ。日本人とかじゃなくて、アジア人すら、留学生すら私しかいない。運悪く、この授業には仲のいい友達もいなくて、一緒にやろう!と言ってくれる人もいなかった。その結果、近くにたまたま座った学生たちと4人でやることに。

何を質問しても冷たく答えるから私にとっては怖い存在の女の子と、ヤンキーっぽくて学校にいつも遅刻してくるし、週末の夜遊びがすごい女の子と、ラグビー部だけど引っ込み思案で、同じグループの気が強い女子二人に混じれない感じの男の子。その3人に馴染むことが出来ない私は、グループの中で全然発言できないし、皆が話すのが早すぎて、何を言っているか、何について話しているのか全然わからない。助けてくれる人もいない。先生がたまに心配して「話わかる?大丈夫?」て聞いてくれるけど、話すと長くなるから「大丈夫です」って言っちゃう。

結局、私のグループが何についてプレゼンするのか、どう進めて、ボードはどうまとめるのか、いつまでに各々何をするのか、何にも分からなかった。速いテンポでどんどん進められちゃうから、途中で質問もできなくてタイミングを逃し、分からないことばっかり溜まっていって、やっと質問できてその質問に答えてくれても、話すのが速いし、大量の情報を伝えてくるから理解できない。英語がうまく使えないことが泣きそうなくらい悔しくてもどかしかった。

単純だから、絶対ネイティブ学生の言ってることを聞き取れるようになってやるって思って、その日の夜に一人で布団の中で英語のニュース見て、でも上手く聞き取れなくてまた悔しくてガッカリしたりしてた(笑)その授業の日の朝、グループ活動しないといけないと思うたびに憂鬱になって、そのグループワークの期間は本当に学校に行きたくなかった。でも毎週行っているネイバー(後述)の友達が励ましてくれたり、グループプレゼンの日に「がんばれ!」ってメッセージをくれたりした。本当に元気付けられたし、つらい事には終わりがくるって思えたし、メンバーの言っていることが分からないからって聞く気を失ったりするような逃げは絶対しない、って思い続けることが出来た。

プレゼン本番の日、ボードもできてないし打ち合わせも詰められてなかったから、早めに集まって、なんだかんだ協力してできた。分からないなりに、自分が何をしたらいいか聞いたり、みんなが言っていること分かんなくても必死に食らいついたりした。そのおかげか、最後は笑いながら話せることもちょっとだけあった。私はこの経験から、自分が全く意見を言わないと、いないもの同然の扱いを受けるし、自分から食らいついていくことの大切さを痛感した。

<Small group communication>

常に4,5人のスモールグループで活動する授業だった。2週間に1回ほどグループプレゼンテーションがあって、そのために授業以外の時間にグループで自主的に集まることが必要だった。私のグループは、私を含む4人で構成されてた。最初は全員人見知りで、話は続かないし愛想笑いばかり。正直「このグループはハズレだったな」って思っていた。でも授業の最終日を迎える日には、涙が出るほど大好きな人たちになってた。

グループで唯一の留学生の私は、最初は赤ちゃんレベルの英語力しかなくて、みんなが何を言っているのか聞き取れず、話題にもついていけず、「今なんて言った?」と質問してもその答えさえ聞き取れず、、、ガッカリして、「どうにかしないと!」思ってYouTubeで英語の動画を2倍速で見たり、リスニング練習のアプリを入れたりするけど、そこでもまた英語力のなさを痛感してガッカリ、の繰り返し。

課題が大量に出る授業のほうがまだマシだと思ったくらい。そんなときに救いだったことは、先生とメンバーが私を見捨てないでいてくれたこと。まず先生は、自身が元留学生で、ドイツ出身だけど学生時代にアメリカに留学してきて苦労した経験があるらしくて、とても積極的に助けてくれた。よく授業後に呼ばれて、「大丈夫?うまくいってる?」と聞いてくれた。1つの相談に対して100個アドバイスをくれるくらい親身になってくれた。

そして何よりも大きかった存在であるメンバーたち。私が聞き取れなくて「なんて言った?」と聞くと答えてくれるけれど、その答えも聞き取れない私は、申し訳なく感じて質問することをやめつつあった。そんな中、「何回も同じ質問するの、気にしなくていいからね、分からなかったら何百回も聞いてよ、私たちもゆっくり話すから。」ってみんなでそう言ってくれた日があった。

その日以来、私は本当に何百回も聞いたし、その度にメンバーは「また~?勘弁してよ~」みたいに冗談ぽく笑いながら、どう言えば私に伝わるかみんなで試行錯誤しながら教えてくれた。ゆっくりではあったけれど、私はメンバーたちの話していることがだんだん聞き取れるようになってきて、私の話すことも伝わるようになった。この3人とは、授業後にDutch Brosというカフェに行ったり、プレゼンの準備でスタバやピザ屋に行っても授業以外の話が盛り上がって結局プレゼンの準備ギリギリになったり、授業中に先生の目を盗んでお菓子を食べたりした。憂鬱だったこの授業が、一番好きな授業になってた。

この授業で、私はとにかく自分の意見を発信することを毎回目標にしていた。例えば、私達のグループ名である“Avengers”という名前は、私の提案がメンバーたちに絶賛されて決まった。グループ名を何にしようか、メンバーで考えていた時に「このグループは個性が強いから、一人ひとりの個性を生かして、ひとりより全員集まった時の方が力を発揮できるようなグループになりたい、あと私がマーベル大好き、だからアベンジャーズ」という提案を、拙い英語を使ってしたら、すごい賛成してくれてこのグループ名になった。

自分の英語が伝わって、話を理解してもらえたことが嬉しくて仕方がなかった。また、別の日に“月に行くなら何を持っていくか”という話題でディスカッションをした際、「月には建物が無いからマップは意味ない」、「磁力がないからコンパスも必要ないと思う」と発言すると「たしかにそうだね!」とみんな言ってくれて、それ以降「あなたはどう思う?」って積極的に聞いてくれるようになった。

あんまり話に混じれなかったのは、日本人だから、留学生だからじゃなくて、意見を言わない子だったからなんだって気付いたし、自己主張ぜんぜんしない子、いなくても変わらない子だったからなんだってわかった。どうせ自分の英語が伝わらないからって話すのをやめないで、伝わる伝わらない関係なく、とにかく言ってみるってことが大事なんだなと思った。