
君は留学先をネームバリューなんかで選ぶの?
兵頭純子
日本にいると多々耳にする「○○ちゃん有名大学に合格したんだって!」やら、「○○くんあの大手有名企業から内定もらったらしいよ」というくだらない類の話。私はこの手の話が大嫌いだ。その大学に合格するため、その企業から内定をもらうまでの努力はたしかにたたえるものがあるであろう。しかし、問題はそのあとである。ただただネームバリューに踊らされてそこに所属しているという肩書きだけに喜んでいるようならこんなばかばかしい話はない。留学だって同じだ。そこで何がしたいのか、何を学び、どんなことを経験し、何を自分の糧にしたいのか。そこが大事なのであって、決して大学の名前は関係ないと私は考える。というのも、有名大学に進学することがたいそう偉いことかのように思えるのは日本人の感覚であるとも思う。
たとえばアメリカの大学を例にとってみる。アメリカにはそれぞれの州にたくさんの州立大学があり、州民であればだれでも入学できる州立大学の存在が、アメリカの大学が「入学がやさしい」と言われる一つの理由である。またリベラルアーツ・カレッジなどの多くのアメリカの大学は「多様性」という面を非常に重視しているため、多種多様な学生たちを入学させようという観点から入学審査を行う。他者とは異なるユニーク性であったり、推薦状の内容が秀でていたりといった、学校のテストの成績などからだけではうかがえない本人の資質を見出そうとするのだ。そのかわり、卒業はそうは簡単にいかない。予習・復習・宿題をこなすのに、5、6時間はかかり、金曜の夜と土曜日は学生たちも羽を伸ばすが、日曜の午後には勉強にとりかかる。レポートやテストに追われ、成績が悪いと退学も容赦なくさせられる―自分が学びたい内容でなければ大学にいく選択肢は選ばないような過酷さであろう。
日本の大学生の遊んでいるイメージとはまったく異なることがおわかりいただけたであろうか。有名大学にいって夢や目標もなくただちゃらんぽらんに生きているだけでは海外では通用しないのだ。自分の学びたいことに一生懸命になるためには、留学先をネームバリューなんかで選んではいけない。たくさんの学びを糧にできる場所を自ら探さねばならないのである。