“普通”は単なる多数意見であり正しいかどうかは別
上條秀斗
国際教育という言葉の意味とその目的とは人によって定義が異なるが、私は国際理解の教育だと思う。またその目的は世界が共存しながら平和を目指していくことにあるということであろう。なぜ今、国際教育が必要なのか、なにが必要なのか、個人的な見解で話しを進めていく。
なぜ今国際教育が必要なのかについては、理由は二つあると言われている、一つは政府の文教政策による国際教育の歪曲が新しい段階を迎えているという現実。もうひとつは学校教育の実際において国際教育への取り組みが弱体化しているという現実。この課題における改善策として小学校から英語教育を設けるなどがあげられている。今の社会、日本だけに留まっていてはこの先が見えないため海外進出する必要があるからだ。しかし英語を話す事が出来る人が少数というのが日本の英語教育の現実である。だからこそ今すぐに国際教育に力をいれ、英語が話せる国際人の基礎づくりをしていく必要がある。英語が話せるようになって初めて国際社会の一員になる最低ラインに立てると思う。しかし英語教育だけで国際人が育つわけではない。各人が人間力というものを養っていくことが必要であろう。つまり、個性、主体性、積極性、リーダー性を養うことが必要である。自分の意見をしっかりともち、発言する。他者をうまく活かしながら社会貢献していく。これらが当たり前のように出来る人材を育てることが国際社会の進展には不可欠である。しかしそう簡単に国際教育が確立し、世界が平和になることはない。国際教育をすすめるうえで、自分たちだけが満足できる基準を定めないということが重要だ。人は自分の国、地域、家庭で成長し、経験や周囲の影響から基準を決め、一概に”普通”という言葉を口にする。その普通とは大抵の場合、多数派の意見というだけで必ずしも正しいとは限らない。しかし各人は自分なりの基準をもっているため、他者との衝突は必至。それが他国との話しまで広がっていくと価値観の違いが大きすぎて受け入れがたい現実を目の当たりにするだろう。そういう意味において基準を定めていては国際教育が確立することはないと思う。そのためにも、他者、他国を理解する教育を今のうちから定着させていくことが大切である。
以上が国際教育の目的、そしてなぜ今必要なのかについての概要である。