なぜ今国際教育なのか

小林 明

この最後の章では、いままで学生たちがさまざまな角度からみてきた海外留学の根源ともいえる「国際教育」について、深山正光の『国際教育の研究-平和と人権・民主主義のために』を読ませ、それを参照したり引用したりして感想を述べています。ここでいう「国際教育」とは学生も随所に触れていますが、1974年の第18回ユネスコ総会において採択された「国際理解、国際協力及び国際平和のための教育並びに人権及び基本的自由についての教育に関する勧告」のことです。もともと第1次世界大戦終結後に創設された国際連盟の時代に提唱された「国際理解教育」がその後の国際社会の変化、発展によって5つの概念(国際理解、国際協力、国際平和、人権、基本的自由)に関わる教育となっています。

我ゼミナールでは国際連合の最終目標である国際平和と人類共通の福祉の実現のための教育ととらえています。その理想社会の実現にむけた非常に具体的な教育方法の一環として海外留学をとらえているのです。ユネスコ憲章前文では人類の歴史を振り返り「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。相互の風習と生活を知らないことは、人類の歴史を通じて世界の諸人民の間に疑惑と不信を起こした共通の原因であり、この疑惑と不信の為に、諸人民の不一致があまりにもしばしば戦争となった。」と断じています。相互理解の不足が国家間あるいは国際社会全体に悲惨な戦争を引き起こしてしまうのです。そうした相互不信や疑念を払しょくするためにはアメリカの故フルブライト上院議員が言ったように「国家関係を人間関係に」するということ、すなわち国境を越えて人間同士の直接的な相互理解を推進することが最も効果的であると確信しています。従って、基本的には個人の学力や財力、さらには将来の職業を問わず、全ての高校生や大学生に異文化と触れ合って欲しいのです。その異文化接触・理解・適応プロセスの昇華した形が留学であると信じ、国際教育の促進を学び、実践しているのです。

国際教育はまだ非常に若い学問で、法学や経済学などと違いその体系さえも構築されていません。しかし、現実の社会では人と人との穏やかな関係を築くためにも不可欠な要素です。自分とは違う身なりや言語、服装、行動をする人に対してどうのように接するべきなのか、2020年のオリンピックを待たずとも、ありとあらゆる人々が世界中から日本に押し寄せている時代です。海外からの留学生や観光客、ビジネスパースンなどが日本に住みたい、また来日したいと感じてくれるために何ができるかを考えるのも国際教育の一環だと考えています。そうした意味では国際教育は全年齢層、全職種職階の人々の「必修科目」であって、決して「選択科目」ではないのです。